時に、こういう事があるだろうか。心に妬みや憎しみがあるのだ
が、それは決して外に出さず、相手にも向けないで、心の内で我
慢し抑え込む。外に出さないのだから、自分は良い人ではないか。
これは信仰者にもあるだろうか。様々な罪の思いを内に抑え込む。
出さないので、対人関係のトラブルは無い。そのため周囲の皆に
良い人だと言われる。しかし内側は煩悶状態だ。
しかし長年良い人だと言われ続けると、自分が自分に欺かれ、自
分は良い人だと勘違いしてしまう。御霊は、そうではない、良い
人ではないと、示され続けるが、自分で良い人間と信じ込むので、
何を言ってるのかわからない。これは信仰が機能しなくなってし
まう。別の場合は、信仰者が罪の思いを持ってはならないと、思
いを抑え込んでしまう。
抑え込むが、もぐら叩きでこっちから、あっちから幾らでも出て
来る。なおもそれを無理に抑え込んでいると、いつか爆発する。信
仰とはそうではない。自力で悪い思いを抑え込むのでなく、思っ
ていない振りでごまかすのでなく、又、弁解や言い訳に終始し、
絶えず自己正当化するのではなく、それが自分の思いである事を、
あるがまま認め、告白し、そのつど主に渡して行こう。
それをずっと繰り返し続けて行く時、常にありのままでおれて、
かつ主が変えて行って下さる。「あくまでもそれを続けなさい」
続けて行こう。自力でなく御霊によって、変えられて行く自分を、
必ず見いだす。
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自分でどうこうせず、まずありのままの負の思いを主に告げよう。
自分に欺かれる事から守られる。又、自分には出来ない事も、そ
のまま告げよう。その時に、主が成し遂げて下さることを、一つ
一つと身をもって経験して行く。
発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係
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