「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。 でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」ルカ5:5

プロのベテラン漁師であるペテロが、一晩中漁をして、一匹の魚も

とれなかった。漁の事なら何でもわかる。だが、何がどうなったの

か、こんな日は引き揚げるしかない。徹夜で身体もクタクタだった

ろう。漁獲無く、疲労は倍増だった事だろう。網を洗っていた。

 

そこに主が、舟を少し出すよう言われ、先生の言う事なので従うと、

その後「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとれ」と言われた。

その時、様々な思いが巡っただろう。徹夜をしてだめだった。常識

と経験値では、こんな時間帯に魚はいない。有り得ない。又、徒労

に終わる。ヘトヘトで家に帰って早く休みたい・・。

 

しかし、ペテロは、直前に主に頼まれ、少し出した舟の中で、主の

言葉を聞いていた。御言葉を聞いた事は大きかっただろうか。「でも、

おことばどおりに」と主に従い、網を下ろした。「そして、そのと

おりにすると」驚くばかりの大漁であった。奇跡だった。

 

私たちは、「諦め」についてはどうだろう。夜通し労して魚はいな

かった。今まで何度やってもだめだった。今度もだめだろう。あの

事、この事、思い浮かぶだろうか。しかし主は、諦めないで「網を

おろして魚をとれ」と言われる。救霊に関してはどうだろう。今ま

で、何度証しをしても、トラクトを配っても、ずっとだめだった。

 

しかし「網をおろして魚をとれ」と。主は励ましておられる。又、

主は「深みに漕ぎ出せ」と言われる。浅瀬にいるままで、言い訳し

ているだろうか。又、岸をうろうろしたままで、ごまかしているだ

ろうか。主から「深みに」とチャレンジされているだろうか。一段

階ずつ成長が与えられている。

 

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ペテロが舟の中で、主の言葉を聞いていた事が、影響大で。従えた

だろうか。よく経験する。御言葉が心にある時は、全然違う。御言

葉によって動かされて行き、従う力が臨んで来る。日々に御言葉を

求めて歩みたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係