「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が悪霊にとりつかれているのです」マタイ15:22

娘が悪霊につかれている異邦人の母親がいた。必死の思いで、主に叫んだ。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんで下さい」。この切なる叫びに、主は答えて下さると思う。だが主は「一言もお答えにならなかった」。主は沈黙され、無視された状態だ。彼女は決して諦めず、なおも叫びついて来た。弟子たちは見かねて、帰して欲しいと主に願った。

 

すると「わたしは、イスラエルの羊以外のところには遣わされていない」と。彼女はそれを聞いて「ダビデの子」を抜いて、更にひれ伏し求めた。カナン人はイスラエルではない。「ダビデの子よ」と言う権利は無い。彼女は一歩も引き下がらず、むしろなおもへりくだって正しい位置に立った。

 

すると主は「子どものパンを子犬に投げてやれない」と言われた。何と冷淡なと思いそうだが、実は、主は彼女を正しい道筋に導いておられた。そこで彼女は更にへりくだった。「主よ。その通りです」と小犬である事を認め「小犬でも食卓から落ちるパンくずはいただきます」と求めた。主はあわれんで下さる、いやして下さると信じたからこそ、決して諦めなかった。小犬がもらえる恵みを求めた。

 

その時、娘は直った。彼女は願いが聞かれた。主は彼女の「立派な信仰」に驚かれた。主を信じたからこそ、退かずにへりくだって求めた。信じていなければ、まず求めない。そして信仰は決して諦めない。諦めないので、必ず答えを手にすることになる。

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小犬が主人を仰ぐようにへりくだり粘り強く主に信仰をお献げしたい。長い試練の道のりも、主のご計画と必ず良くしてくださる事を信じて御心の扉を叩き続けたい。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係