「ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか」へブル6:1

堅い食物は大人の物であり、経験により良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練されると言っている。クリスチャンにとっても、願いが叶うことは、大変嬉しい事であり心地よい。つらい、苦しい事は避けたいし、好きではない。思い通りの事態は大歓迎で、思い通りでない事柄はなかなか受け入れ難い。

 

しかし、思い通りでない事態により、私たちは練られ、鍛えられ、大きく成長して行く。振り返る時、どうだろう。どうにもならない、瀬戸際のギリギリの状況の中で、全身で主を叫び求めたのではないだろうか。主に向かって心の底から叫び、拠りすがる事によって、一歩一歩成長が与えられて来た。

 

言える事は、信仰人生で霊的成長を望むなら、痛い事を決して逃げるな、避けるな、という事だ。様々な痛み、苦しみによって、霊的な感覚が訓練されると言っている。つまり霊的な感覚が鍛えられ、養われ、培われて行くのは実地訓練、経験によると言われ。苦しみの中で、あがき求める中で、御霊からのもの、悪魔からの誘惑、肉の思い、これらのものがクリアにされて行く。

 

そして実地訓練によって、悪魔の働きを識別して行く事を学んで行ける。経験によって身について行く。今までわからなかったものが見えて来るのだ。頭の理解でなく、身をもって通る事によってだ。苦しみを通して、見分ける感覚が鍛えられ、研がれて行く。霊的成長を願うなら困難から逃げずに、主の取り扱いにあずかる時、一段階、一段階、成長へと導いて下さる。

 

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「堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物を見分ける感覚を訓練」されると言っている。霊的な識別力を養われるためには、経験が不可欠だと。様々な苦しみや痛みを通して、成長、成熟させて下さる。主と共に受け止めて行けるよう祈ろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係